自分の人生に「ごまかし」は許されない。
私もよく経験したことだが、過去について「ああすればよかった」と悔やみ、遠い先々のことまで考えて不安や恐怖にかられるものである。
過ぎ去ったこと、まだ見ぬ明日、自分の力ではどうにもならないこと、に心をまどわせるのはやめよう。
「今」この時の懸命に生き抜く者だけに「未来」は約束されるのである。
今日一日を、自分をごまかさずに生きること、「自己実現」への最短距離はそれしかない。
人生、「この程度」で終わらせてはならない。
現代に生きる人々がとらわれているものがある。
習慣や、伝統的な考え方のうちで、自己実現の邪魔になるような感じ方、考え方、あるいは思い込みなどだ。
これらでは、薬よりも何よりも、心の持ち方が大切である。
禅宗などの悟りといったものにきわめて近い。
いい意味での刹那主義を大切にする。
第一に、全ては自分で選択することができるということである。
その選択とは、普段、選択できないものと考えられているような自分の感情とか、幸福を選び取ることも含まれる。
人とはその人自身の選択したものの総体である。
第二に、現在を大切にするとういことである。
今を大切にした人にだけ、輝く未来が来る。
●幸福とは才能である
自主的な人間になるには、いくつかの常識化してしまった神話を捨て去る必要がある。
まず手始めは、知能はどの程度あるかが幸福に関係するというものである。
確かに問題の解決は幸福になるためには役立ちはするが、たとえある特殊な問題を解決する能力はなくとも、幸福な生き方を選ぶことはできる。
最低限、不幸を選ばないということをわきまえている人は知的である。
そういった選択能力こそが、幸福になる道だ。
●自分の芽を摘む「もう一人の自分」をのさばらせないこと
幸福な人たちは主体的な態度をとっている。
そういう人たちは、人生の「問題の扱い方」を知っている。
ここで、「問題を解決する」という言い方をしなかった点に注意してほしい。
幸福な人たちは問題を解決する能力によって幸福になっているのではなく、むしろ、問題そのものは解決しようがしまいが、自分自身は幸せで価値ある人間でいられる才能を持っている。
自分を真に知的な人間であると考えるようになるためには、困難な状況に直面したときにどのような感じを抱くかという点を基盤として見なければならない。
人生の戦いは誰にとっても似たようなものである。
社会的背景の中で人間関係を持っている人なら誰でも、同じような問題を抱えている。
どのような事故が起こったとしても、うまく切り抜け、失意や不幸にとらわれない人もいれば、衰弱し、不活発的になり、落ち込んでしまう人もいる。
人間である以上、問題の一つや二つあってあたりまえと受け止め、問題の有無を幸福の基準としない人こそ、最も知的な人だ。
ネガティブな自分を封じ込めよう。
■ホーライ製薬(架空の製薬会社)
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